ルワンダの歴史

ルワンダ小史

 

何世紀にもわたって、ルワンダはツチ族の歴代の王の下で中央集権的な君主制国家として存在していました。最高権力者である国王の一族が、牛飼いの長、地主の長、軍の長を統治していましたが、ルワンダの民であるフツ族、ツチ族、トワ族の人々は、平穏に共生していました。1899年、ルワンダはドイツの植民地となり、ドイツ当局がツチ族の王を通じてルワンダを支配する、間接統治体制が始まりました。1919年には国際連盟の委任統治領となり、ベルギーの支配下で同様の間接統治体制が続きました。

 

1959年に王政が廃止されると、ツチ族は迫害を受けるようになりました。数十万人が死亡し、200万人近くが亡命に追い込まれました。ベルギーからの独立後、1962年に樹立された最初の共和国のグレゴワール・カイバンダ大統領も、1973年のクーデター後に樹立された二番目の共和国のジュベナル・ハビャリマナ大統領も、ツチ族に対する差別を制度化し、ツチ族を虐殺しました。

 

1979年、亡命中のツチ族を中心とするルワンダ難民が、ルワンダ民族統一同盟(RANU)を結成。ルワンダの分裂した政治、ジェノサイドを正当化するイデオロギー、繰り返される虐殺、無国籍問題、平和的な政治的交流の欠如に対抗するため結集しました。1987年、RANUはルワンダ愛国戦線(RPF)となりました。1990年10月1日、RPFは武装解放闘争を開始。1994年、ついに当時の独裁政権を打倒して、100万人以上ものツチ族と穏健派フツ族の命を奪ったジェノサイドを終結させました。

 

1994年7月4日、RPA(RPFの武装勢力)が首都キガリを制圧したあと、RPFはジェノサイドに追随しなかった政党を束ねて、国民統一政府を樹立。パスツール・ビジムング大統領が新政府を率いました。2000年、ビジムング大統領が議会に罷免されると、RPFは連立政権を組み、当時の副大統領兼国防大臣、ポール・カガメ少将を大統領に指名しました。2003年の大統領選挙では、現職のカガメ大統領が圧倒的な得票差で当選し、7年の任期を務めました。その7年間で、ルワンダはかつてないほどの社会経済的および政治的進歩を遂げ、ルワンダ国民に平和と安定がもたらされ、社会的結束が強化されました。カガメ大統領は2010年、2017年の大統領選挙でもそれぞれ再選され、急速な発展を基盤として、すべてのルワンダ国民の生活の向上を目指し、現在3期目を務めています。